富岡製糸場見学
次の見学場所は富岡製糸場でした。広い敷地でした。明治になり、日本政府がいかに「力」を入れて「生糸」を日本の輸出品にしたかがわかる建物がまだのこっていました。「よくのこっているなあー」と正直おもいましたし感心してきたのです。養蚕は中国から弥生時代に日本にはいってきたとのこと。それからずーと、日本の農村では蚕を飼っていたのですね。戦国時代にはすくなくなったといわれていますが・・・江戸の時代は、養蚕は盛んだったのです。町人文化も花開き、日本人は着物を着ていたのですから絹織物も町人に好んで着られていたのでしょう・・・それゆえ『開国』と同時に、生糸は重要な輸出品となったのです。
それまでは、『座繰リ』といわれる方法で繭から糸をとっていました。それが官営の工場を作り、フランス人の技師らの指導により機械化し大量に繭から生糸をとりだす。繰糸場には、「繰糸機」がずらりとならんでいました。あの頃はまだ電気が入っていなかったのでレンガ館の繰糸場はガラス窓(めずらしかったのです)が広くとられ天井もたかくしゃれた建物だったのです。
建物の中には全部入れませんでしたが、東西の繭倉庫の大きさ・その中に集められた繭・養蚕農家・桑畑・・・日本の明治という時代が目の前に浮かんできました。自動車などない時代です。大八車で運んだのでしょうか?馬で運んだのでしょうね。大切な繭をぬれないように、汚れないように、傷つけないように、運ぶのも大変だったことでしょう・・・
道も舗装されていなかったのです。
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